チャイナに経済協力するために靖国参拝回避???
2019.12.28.18:00
【外務省が竹下首相訪中で「靖国参拝すれば危うくなる」 外交文書公開】
外務省は25日、昭和30(1955)年から63年までの外交文書15冊(約6180ページ)を一般公開した。
昭和が幕を閉じる前年の竹下登首相訪中に関連する極秘文書などが含まれる。
竹下氏の訪中をめぐっては、外務省が事前の靖国神社「不参拝」を求めていた実態が明らかになった。
公開された外交文書からは、竹下登首相が昭和63年8月の訪中前に靖国神社を参拝すれば「訪中自体も危うくなる」として、当時の外務省が「参拝回避」を求めていたことが浮き彫りになった。
竹下氏はリクルート事件で翌年に退陣を余儀なくされ、結果として石橋湛山氏以来の在職中に靖国神社参拝を見送った首相となった。
首相の靖国参拝はその後、中国の対日カードとして使われている。
竹下氏訪中の準備の過程で作成された外交文書には、外務省が訪中実現に向け靖国神社の参拝を控えるべきだと考えていたことを示す箇所が複数あった。
昭和63年2月にアジア局中国課が作成した「極秘」の資料「竹下総理訪中 検討事項とり進め方」には「靖国神社公式参拝問題」の項がある。
そこでは「昭和60年の中曽根(康弘)前総理による本件(参拝)実施を契機として中国側より激しい批判が寄せられたため、昭和61年及び62年には、総理参拝は実施されなかった」と指摘。
その上で「総理の靖国参拝が行われれば、総理訪中自体も危うくなる可能性があるところ、右につき予(あらかじめ)め、内々官邸と連絡を密にしていく要あり」と明記していた。
さらに、4~6月に実施すべき準備作業を指すとみられる箇所には「靖国参拝が実施されれば、総理訪中自体が困難になる可能性がある旨を前広に官邸にインプットしていく」との計画も記されていた。
さらに同年3月2日付の中国課の記録によると、中島敏次郎駐中国大使はその前日、竹下氏に日中関係について説明を行った際、「国内的に種々困難な事情があることは十分理解しているが、訪中直前ということもあり、靖国参拝は絶対に避けていただきたい。『皆で渡ろう方式』も不可」と竹下氏に伝えた。
記録では竹下氏は「その点はよく心得ている。但(ただ)し、絶対に外には言ってはならない」と述べた。
春の例大祭が念頭にあったとみられる。
中島氏は当時の唐家●(=王へんに旋)外相との懇談結果を踏まえ、同年7月29日付で宇野宗佑外相に宛てた「秘」の公電でも「終戦記念日の際のやす国じん社公式参ぱいに関する政府としての態度表明を行うことは真けんな御検討に価(あたい)する」と求めた。
この4日後の8月2日には小渕恵三官房長官が記者会見で、竹下氏が靖国神社の参拝を見送ることを明らかにした。
竹下氏は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長も務め、蔵相時代には参拝していた。
しかし、前任首相の中曽根氏が昭和60年の公式参拝の後、内外の批判を踏まえて2年連続で参拝を見送ったこともあり、竹下氏は首相在任中、「公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは政治を行う者の当然の責務である」とする一方で、「国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」と参拝に慎重な姿勢も示していた。
外務省の働きかけは、竹下氏のこうした姿勢を支え、参拝見送りを後押ししたとみられる。
【産経新聞 2019年12月25日】
竹下首相もひどいし、外務省もクソですね…。
ただ顔色を伺うことが外交と思っているのか!!
ちなみに、当時の竹下首相の訪中では、日本から「8100億円」の経済協力が表明されています。
要するに、チャイナに対する経済協力をするために、わざわざ靖国参拝をやめたということ!
しかも、そのことを国民に伝えてはいけないって…。
8100億円は、当然ですが日本国民がせっせと払った税金。
その税金をせっせと、チャイナに貢いでいるわけで…。
しかも、外務省ではたくさん貢いだ人が出世する仕組みなのでしょうな…。
日本の政府は、いったい誰のために政治しているのでしょう…。
チャイナや朝鮮半島のためって言われてもしょうがないでしょう…。
しかも、命をかけて日本を守った英霊を足蹴にしてまで…。
ところで、来年は習近平国家主席が国賓として日本にやってきます。
そういった状況であるにもかかわらず、チャイナの公船はバンバン尖閣諸島沖で領海侵入を繰り返しています。
習近平国家主席が、「来日がかなわなくなるかもしれない?」などと思っていない証拠ですね。
しかも、そんな喧嘩を売ってきている人間に対し、最高のおもてなしをしようとしているのが日本政府です…。
どうかしているとしか思えない…。
外務省は25日、昭和30(1955)年から63年までの外交文書15冊(約6180ページ)を一般公開した。
昭和が幕を閉じる前年の竹下登首相訪中に関連する極秘文書などが含まれる。
竹下氏の訪中をめぐっては、外務省が事前の靖国神社「不参拝」を求めていた実態が明らかになった。
公開された外交文書からは、竹下登首相が昭和63年8月の訪中前に靖国神社を参拝すれば「訪中自体も危うくなる」として、当時の外務省が「参拝回避」を求めていたことが浮き彫りになった。
竹下氏はリクルート事件で翌年に退陣を余儀なくされ、結果として石橋湛山氏以来の在職中に靖国神社参拝を見送った首相となった。
首相の靖国参拝はその後、中国の対日カードとして使われている。
竹下氏訪中の準備の過程で作成された外交文書には、外務省が訪中実現に向け靖国神社の参拝を控えるべきだと考えていたことを示す箇所が複数あった。
昭和63年2月にアジア局中国課が作成した「極秘」の資料「竹下総理訪中 検討事項とり進め方」には「靖国神社公式参拝問題」の項がある。
そこでは「昭和60年の中曽根(康弘)前総理による本件(参拝)実施を契機として中国側より激しい批判が寄せられたため、昭和61年及び62年には、総理参拝は実施されなかった」と指摘。
その上で「総理の靖国参拝が行われれば、総理訪中自体も危うくなる可能性があるところ、右につき予(あらかじめ)め、内々官邸と連絡を密にしていく要あり」と明記していた。
さらに、4~6月に実施すべき準備作業を指すとみられる箇所には「靖国参拝が実施されれば、総理訪中自体が困難になる可能性がある旨を前広に官邸にインプットしていく」との計画も記されていた。
さらに同年3月2日付の中国課の記録によると、中島敏次郎駐中国大使はその前日、竹下氏に日中関係について説明を行った際、「国内的に種々困難な事情があることは十分理解しているが、訪中直前ということもあり、靖国参拝は絶対に避けていただきたい。『皆で渡ろう方式』も不可」と竹下氏に伝えた。
記録では竹下氏は「その点はよく心得ている。但(ただ)し、絶対に外には言ってはならない」と述べた。
春の例大祭が念頭にあったとみられる。
中島氏は当時の唐家●(=王へんに旋)外相との懇談結果を踏まえ、同年7月29日付で宇野宗佑外相に宛てた「秘」の公電でも「終戦記念日の際のやす国じん社公式参ぱいに関する政府としての態度表明を行うことは真けんな御検討に価(あたい)する」と求めた。
この4日後の8月2日には小渕恵三官房長官が記者会見で、竹下氏が靖国神社の参拝を見送ることを明らかにした。
竹下氏は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長も務め、蔵相時代には参拝していた。
しかし、前任首相の中曽根氏が昭和60年の公式参拝の後、内外の批判を踏まえて2年連続で参拝を見送ったこともあり、竹下氏は首相在任中、「公式参拝の実施を願う国民や遺族の感情を尊重することは政治を行う者の当然の責務である」とする一方で、「国際関係を重視し、近隣諸国の国民感情にも適切に配慮しなければならない」と参拝に慎重な姿勢も示していた。
外務省の働きかけは、竹下氏のこうした姿勢を支え、参拝見送りを後押ししたとみられる。
【産経新聞 2019年12月25日】
竹下首相もひどいし、外務省もクソですね…。
ただ顔色を伺うことが外交と思っているのか!!
ちなみに、当時の竹下首相の訪中では、日本から「8100億円」の経済協力が表明されています。
要するに、チャイナに対する経済協力をするために、わざわざ靖国参拝をやめたということ!
しかも、そのことを国民に伝えてはいけないって…。
8100億円は、当然ですが日本国民がせっせと払った税金。
その税金をせっせと、チャイナに貢いでいるわけで…。
しかも、外務省ではたくさん貢いだ人が出世する仕組みなのでしょうな…。
日本の政府は、いったい誰のために政治しているのでしょう…。
チャイナや朝鮮半島のためって言われてもしょうがないでしょう…。
しかも、命をかけて日本を守った英霊を足蹴にしてまで…。
ところで、来年は習近平国家主席が国賓として日本にやってきます。
そういった状況であるにもかかわらず、チャイナの公船はバンバン尖閣諸島沖で領海侵入を繰り返しています。
習近平国家主席が、「来日がかなわなくなるかもしれない?」などと思っていない証拠ですね。
しかも、そんな喧嘩を売ってきている人間に対し、最高のおもてなしをしようとしているのが日本政府です…。
どうかしているとしか思えない…。
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