戦争法案反対!にうんざり!
2015.09.07.20:22
「憲法違反」「違憲」「戦争法案」「政府の暴走」
うんざりです。テレビでSEALDs(シールズ)のデモに参加してる人の意見を聞くと,なんと浅はかな気持ちで時間を無駄にしているんだろうと情けなくなります。
「自分たちの子どもや孫を戦争で死なせてはいけないと思い参加しました。」
「安部政権は暴走しています。戦争を始めようとしています。」
こんなことを,全国ネットのテレビで平気で言っています。
しかも,活動は,国会前のみならず,全国各地で行われているようです。
こいうい人たちが増えれば増えるほど,この国はどこへ向かっていくのか心配になります。
それこそ,自分の子どもや孫たちが心配でなりません。
全く,安保法案の内容を理解してなく,野党のネガティブキャンペーンに踊らされています。
あと,SEALDs(シールズ)の宣伝効果なんでしょうか。
全く馬鹿げています。
むなしくなります。
戦争をしたい人なんかいるはずがないではないですか。
なんで,そんな簡単なことがわからないんでしょうか。
イラクに行って戦争するわけないでしょ。アフガニスタンに行って戦争するわけないでしょ。そういう法案なんです。
日々,有事に備えて厳しい訓練を行っている自衛隊員の活動を『がんじがらめ』にしている今の法律がおかしいのがわからないのでしょうか。
今のままでは,自衛隊員が気の毒でなりません。
安保法案に反対し,「自衛隊員のリスクが高まる」「自衛隊員の命が危険」と訴えるならば,以下の勝股氏の文章をよく読んでいただきたい。
以下は,
勝股秀通 (日本大学総合科学研究所教授)の談
政府がなすべきは、法律がないために、現場で活動する自衛官たちが、何度も危険な状況に直面してきた事実を明らかにすることだ。
その一つは、自衛隊が初めて国連平和維持活動(PKO)に派遣されたカンボジアでの出来事だ。1993年4~5月、民主化へのプロセスとなる総選挙が近づくにつれ、ポル・ポト派による選挙妨害が相次ぎ、日本人の国連ボランティアが殺害されたのに続き、岡山県警から派遣された文民警察官もゲリラに襲撃され死亡した。
こうした緊迫した状況の中、日本からボランティアとして派遣されている41人の選挙監視員をどうやって守るのか─が、当時の政府の最大の懸案となった。開会中の国会では、「現地の自衛隊に守らせろ」という無責任な意見が大勢となっていた。
なぜ無責任かと言えば、当時も今も、PKO協力法に基づく自衛隊の活動に、現地の日本人や一緒に活動する他国軍の兵士を守るという「警護」の任務は与えられていないからだ。警護は武器の使用が前提であり、憲法で禁じた武力の行使に発展するおそれがあるという判断だ。にもかかわらず、選挙監視員が犠牲となる事態を恐れた政府は、当時の防衛庁に対し、ひそかに警護手段を考えるよう要請していた。
そもそも自分の身を守る場合(正当防衛)にしか武器の使用が認められていない隊員たちが、どうやって選挙監視員を守ることができるのか。防衛庁と陸上自衛隊が出した答えは、およそ軍事常識では考えられない『人間の盾』という作戦だった。
本来、選挙監視員が武装ゲリラに襲撃されれば、自衛隊はその場に駆けつけ、ゲリラと交戦して監視員を救出する。ところが、そうした武器使用が認められていない隊員たちに求めたのは、自ら進んで襲撃するゲリラの前に立ちはだかり、ゲリラの標的になることで正当防衛を理由にゲリラを掃討する、つまり、隊員たちに「選挙監視員たちの盾になれ」という作戦だった。銃撃戦は必至との判断で、部隊では精鋭のレンジャー隊員ら34人をリストアップ、指名された隊員たちの多くは、妻や子、親兄弟に宛てた遺書を書き残し、“その時”に備えていたという。
幸い、彼らが人間の盾になるような悲劇は起こらなかった。だが、94年11月には、ルワンダ難民の救援活動に派遣されていた自衛隊が、武装難民に襲われ、車両を奪われた日本の医療NGOのスタッフを救出したほか、2002年12月には、東ティモールの首都ディリで暴動が発生。緊急出動した現地の自衛隊は、孤立した国連事務所の職員ら、日本人を含む7カ国41人の民間人を救出し、自衛隊の宿営地に収容するなど、「駆けつけ警護」は海外に派遣された自衛隊がこれまで何度も直面してきた問題だ。
今回の安保関連法案では、PKO協力法を見直し、一緒に活動する外国部隊の兵士やボランティアなどの民間人を助ける駆けつけ警護が任務として加わり、その任務への妨害を排除するための武器使用が認められている。
自衛隊の活動は大きく広がるが、こうした国際協力活動の現場を知れば、法律が整備されることによって、自衛官に人間の盾などという人権を無視した作戦を強いることもなく、リスクを下げることにもつながることが理解できるはずだ。決して、野党が指摘するような「活動範囲が広がればリスクが高まる」といった単純な話ではないことに気づくだろう。
うんざりです。テレビでSEALDs(シールズ)のデモに参加してる人の意見を聞くと,なんと浅はかな気持ちで時間を無駄にしているんだろうと情けなくなります。
「自分たちの子どもや孫を戦争で死なせてはいけないと思い参加しました。」
「安部政権は暴走しています。戦争を始めようとしています。」
こんなことを,全国ネットのテレビで平気で言っています。
しかも,活動は,国会前のみならず,全国各地で行われているようです。
こいうい人たちが増えれば増えるほど,この国はどこへ向かっていくのか心配になります。
それこそ,自分の子どもや孫たちが心配でなりません。
全く,安保法案の内容を理解してなく,野党のネガティブキャンペーンに踊らされています。
あと,SEALDs(シールズ)の宣伝効果なんでしょうか。
全く馬鹿げています。
むなしくなります。
戦争をしたい人なんかいるはずがないではないですか。
なんで,そんな簡単なことがわからないんでしょうか。
イラクに行って戦争するわけないでしょ。アフガニスタンに行って戦争するわけないでしょ。そういう法案なんです。
日々,有事に備えて厳しい訓練を行っている自衛隊員の活動を『がんじがらめ』にしている今の法律がおかしいのがわからないのでしょうか。
今のままでは,自衛隊員が気の毒でなりません。
安保法案に反対し,「自衛隊員のリスクが高まる」「自衛隊員の命が危険」と訴えるならば,以下の勝股氏の文章をよく読んでいただきたい。
以下は,
勝股秀通 (日本大学総合科学研究所教授)の談
政府がなすべきは、法律がないために、現場で活動する自衛官たちが、何度も危険な状況に直面してきた事実を明らかにすることだ。
その一つは、自衛隊が初めて国連平和維持活動(PKO)に派遣されたカンボジアでの出来事だ。1993年4~5月、民主化へのプロセスとなる総選挙が近づくにつれ、ポル・ポト派による選挙妨害が相次ぎ、日本人の国連ボランティアが殺害されたのに続き、岡山県警から派遣された文民警察官もゲリラに襲撃され死亡した。
こうした緊迫した状況の中、日本からボランティアとして派遣されている41人の選挙監視員をどうやって守るのか─が、当時の政府の最大の懸案となった。開会中の国会では、「現地の自衛隊に守らせろ」という無責任な意見が大勢となっていた。
なぜ無責任かと言えば、当時も今も、PKO協力法に基づく自衛隊の活動に、現地の日本人や一緒に活動する他国軍の兵士を守るという「警護」の任務は与えられていないからだ。警護は武器の使用が前提であり、憲法で禁じた武力の行使に発展するおそれがあるという判断だ。にもかかわらず、選挙監視員が犠牲となる事態を恐れた政府は、当時の防衛庁に対し、ひそかに警護手段を考えるよう要請していた。
そもそも自分の身を守る場合(正当防衛)にしか武器の使用が認められていない隊員たちが、どうやって選挙監視員を守ることができるのか。防衛庁と陸上自衛隊が出した答えは、およそ軍事常識では考えられない『人間の盾』という作戦だった。
本来、選挙監視員が武装ゲリラに襲撃されれば、自衛隊はその場に駆けつけ、ゲリラと交戦して監視員を救出する。ところが、そうした武器使用が認められていない隊員たちに求めたのは、自ら進んで襲撃するゲリラの前に立ちはだかり、ゲリラの標的になることで正当防衛を理由にゲリラを掃討する、つまり、隊員たちに「選挙監視員たちの盾になれ」という作戦だった。銃撃戦は必至との判断で、部隊では精鋭のレンジャー隊員ら34人をリストアップ、指名された隊員たちの多くは、妻や子、親兄弟に宛てた遺書を書き残し、“その時”に備えていたという。
幸い、彼らが人間の盾になるような悲劇は起こらなかった。だが、94年11月には、ルワンダ難民の救援活動に派遣されていた自衛隊が、武装難民に襲われ、車両を奪われた日本の医療NGOのスタッフを救出したほか、2002年12月には、東ティモールの首都ディリで暴動が発生。緊急出動した現地の自衛隊は、孤立した国連事務所の職員ら、日本人を含む7カ国41人の民間人を救出し、自衛隊の宿営地に収容するなど、「駆けつけ警護」は海外に派遣された自衛隊がこれまで何度も直面してきた問題だ。
今回の安保関連法案では、PKO協力法を見直し、一緒に活動する外国部隊の兵士やボランティアなどの民間人を助ける駆けつけ警護が任務として加わり、その任務への妨害を排除するための武器使用が認められている。
自衛隊の活動は大きく広がるが、こうした国際協力活動の現場を知れば、法律が整備されることによって、自衛官に人間の盾などという人権を無視した作戦を強いることもなく、リスクを下げることにもつながることが理解できるはずだ。決して、野党が指摘するような「活動範囲が広がればリスクが高まる」といった単純な話ではないことに気づくだろう。
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